ISLOMANIA島へのあこがれ

2018.01.03
​ 海の道、そのあとに続くもの「佐渡島」


幼少時からずっと気にかかっていた佐渡島。
小学生の時の友人は父方が佐渡の出身で、夏休みになるたびに帰省して、真っ黒になって帰ってきた。
長岡在住時代、同じ新潟県なのに意外と佐渡島に行ったことがある人が少なくて、情報があまり入ってこないのも不思議だった。ポジティブに言う人も少なかった記憶がある。
何があるんだろう。わりと近い存在ながら、謎めいた場所だったのだ。

佐渡島のイメージは金銀山、能、トキのいる島、と言ったところだろうか。
あと、世界農業遺産として売り出し中なのはあちこちで目にしていた。
文化と産業が独特な構成で集積していて、そのルーツには「海の道」が深く関わりを持っている。
京から政治犯などを流した流人の道、そして江戸時代に日本中を結んだ北前船の道。古来、朝鮮半島からも多くの人が訪れたという。
いろんなひと・もの・ことがこの島に吹き溜まり、交わり合って、独特のカルチャーを育んでいったことは想像に難くない。

順徳天皇、世阿弥、日蓮が流された島。彼らは当時最先端の社会システム、文化、技術、信仰などを佐渡に持ち込んだ。佐渡弁の端々には京のニュアンスが残るという。かつての流人たちは佐渡弁に京の面影を垣間見て、郷里を想い涙したそうだ。
能舞台が深く根付いたのも、京にルーツを持つ人々の望郷の念をあらわしたものであり、ささやかな慰めだったのかもしれない。

1600年から390年続いた国家事業、金銀採掘。江戸幕府の財政を支え、多様な人・技術・文化を佐渡に集積させた。この時代は、あらゆる娯楽の類も集い、佐渡全体が大いに賑わった。一時の出稼ぎのはずが郷里を忘れて永住してしまう労働者も多かったそうだ。
金銀鉱脈をつくったのは火山活動である。マグマで熱せられた地下水に溶け込んだ鉱物が岩の間隙に溜まっていった。それは、やがて枯渇が訪れることを示している。
金銀採掘をグランドコンセプトとして構築された都市デザイン、島の社会システムは一気に崩壊していく。街並みに当時の名残を残しつつ、ところどころ手入れがされていない建物も目立つ。ゆっくりと風化に向かう、その途中。いまそこに残っているものは何だろうか。

佐渡島は江戸の時代に北前船の寄港地となったことで、海の道を通じた日本海の各都市、下関から瀬戸内、大阪・京都、江戸といった幅広い地域とのひと・もの・情報の交流があった。佐渡南端の宿根木の街は造船業で栄えたという。ここも今では、その名残を街並みの中にところどころ残すのみ。
小木の歴史民俗資料館では、かつての材木と工法によって再現された巨大な千石船が鎮座している。

そして、佐渡といえば朱鷺。伊勢神宮の式年遷宮の際に造られる宝剣の柄には、朱鷺の尾羽が二本使われるという。トキ、という音は日の出を意味する。これは日の出とほぼ同時刻に巣から出て、日の入りとともに巣に戻るトキの習性からくるものらしい。伊勢神宮に祀られるのは太陽神・天照大神。なぜ朱鷺がこれほど人々の心を掴むのか、少しわかった気がした。

世界農業遺産の国として、ふたたび発信力を持った佐渡島。小粒で甘みがギュッと詰まった黒イチジク。右を見ても左を見てもおけさ柿。銀葉藻、ナガモ、モズク、オニカヅラ、イゴネリなどの海藻食。ブリ、サバ、キジハタ、イカなど魚介類。棚田米。
イマドキの雰囲気を漂わせたレストランやアコモデーションもぱらぱらと。「美一」「清助」「花の木」にはお世話になった。みんなそれぞれにチャレンジしている。


佐渡島は、時代の大きな役割を果たし切って、ひとつのピリオドを迎えた。
生まれ変わらなければ、その先に待つのは暗い未来かもしれない。
しかし、幸いにしてこの島はまだまだ豊かな資源を残している。
島のあちこちには新たな胎動のようなものも感じる。新しい佐渡を描き出すべく、頑張っている人もまたたくさんいた。

佐渡島がこれからどのように変わっていくのか…
ときおり見守っていきたいと思う。

灯りのない地下で半年以上にわたり続く生活。坑夫たちは長く生きられなかったという。人間は地下で生きられるように設計されていないということか。

採掘はやがて海水面下にも至る。坑道に浸み出る水を地表まで汲み上げ、排水しながら掘る必要があった。写真に写っている筒みたいな道具は「水上輪」。ハンドルをぐるぐる回すと水が上部に汲み上げられていく面白い道具。

坑夫たちの安全、金銀の大量採掘を願う様々な神事があったらしい。必要があればどこにでも神様を祀ってしまうのだ。

前半の宿泊先はゲストハウス「on the 美一」。長期滞在にも適した、清潔でカジュアルな今風ゲストハウス。「清助ネクストドア」というフレンチのレストランが一階にある。

内装。木の素材感とファブリックがきれいにまとまっています。若者グループとかにはいいかも。

アイランドキッチンが備え付け。冷蔵庫には一通りの調味料、コーヒー・紅茶類も揃っている。宿泊者は朝食にトースターを食べたりしていた。

海に面した大窓は夕焼けの時間帯に素晴らしいビューを見せてくれる。

居室。木が心地よいつくり。ベッドシステムが珍しいものだった。「オーストリアのリラックス社製のベッドシステムを導入」とのこと。クッション性が素晴らしい。率直にいうと欲しい。

画像はon the 美一のWEBサイトより。「ウッドスプリングシステムは54個配された可動性の高いラバークッションとブナの木盤を採用。有機的な動きが身体を包み込むようにしっかりした弾力でからだの曲線、動きをしなやかに捉えて支えます。」

夕食に訪れた料亭、「ちよぼ家 無限庵」。予約のみの営業。

佐渡といえば南蛮エビ。適当なところで食べるそれとは身の濃厚な旨味、弾力が明らかに違う。

シメには紅ズワイガニの炊き込みご飯。普段は夕食にコメを食べないが、旅に出ている際には我慢しない。

女将が丁寧に混ぜてくださった。とても食べきれないので翌日の朝食に持ち帰らせてもらった。

尖閣湾へ。荒々しい日本海のフィヨルド地形を眺める。落っこちたら身体がバラバラになりそう。

一瞬「こんな話だったっけ?」と思ってしまった。昔のやつですね。

島の南端、小木港へ移動。佐渡といえばたらい舟である。乗らないわけにはいかない。

地元のばあちゃんが漕いでくれる。意外とスピーディ。漕がせてもらったけど、へっぴり腰で見せられたものじゃない。

トキに挨拶しに行った。
「ほら!あなたもトキまで2センチ!」

奥の方に小さく見えるのが、トキのつがい。けっこう大きくて迫力ある。

トキの羽は日本の宝物に欠かせない素材。日いずる国を象徴する鳥がトキ(昔の中国の言葉で「日の出」の意)なのだ。

小木の近くにある「御宿 花の木」が次の宿泊先。古民家とゆったりした庭園、その先の離れに宿泊できる、民宿というにはかなり贅沢な宿だった。

佐渡は「世界農業遺産」。佐渡の食材に力を入れて提供する宿やレストランに掲げられる「サドメシ」認定証。

花の木で出してもらった茹で紅ズワイガニ。近年はカニの美味しさに改めて目覚め、なるべくいろいろ食べるようにしている。

古民家をリノベーションした母屋に食事処がある。庭に開いた大窓がとても心地よく、個性的。海外(ヨーロッパだと思う)からの観光客も何組か見られた。みんな満足している様子だった。

部屋の窓から外を眺めると、一面の田んぼ。その奥に夕日が沈んでいく光景は心を奪われる美しさ。

花の木で開発した椿油。太平洋側の伊豆大島や八丈島しかり、島では椿を育てるのは共通なんだなあ。

かつての海の道、西廻り航路の時代に小木で造船されていた千石船。地元の大工たちによって忠実に再現されたもの。木の船に海に浮かべるための工夫が盛りだくさん。メイキング映像は必見。

佐渡の民俗をたくさんの古民具とともに紹介する資料館。例によって全てのテキストを読む。

2階建ての収蔵ラックは立ち入ることもできる。

迷路のようで不思議な空間。漁具や調理道具のシンプルでさりげない、でも考え抜かれた工夫が面白い。

民俗資料館はかつての小学校を改装したらしい。

最後の夜は小木の老舗居酒屋「まつはま」へ。

大将のおすすめで朝どれのゴマサバをいただけることに。先日の西土佐で清水サバを食べれなかったので、リベンジ。

ゴマサバは素晴らしく美味しかった。脂ののりと、しっとりふっくらした食感が魅惑的だ。

こちらにも海外観光客がいらしていた。佐渡金銀山ではアジア系、南の小木近辺ではヨーロッパ系が多かったのが面白いところ。

佐渡の小木地域特産の黒イチジク「小木ビオレー」。通常のイチジクよりも小型で黒く、甘みが濃厚だ。お土産で干しイチジクを買って行った。

小木港から直江津港に向かう帰りのフェリーに乗る直前に頂いた「ブリカツ丼」。想像通りの味だった。