PIECES OF FUTUREアイディアのかけら

2019.05.06
「罪のない罰」、舞鶴市の引揚記念館 ​

海の京都、舞鶴には引揚記念館がある。舞鶴は日本最後の引揚港で、特にシベリアからの帰国者が多かったそうだ。ここの収蔵品はユネスコの世界記憶遺産にもなっている。

第二次世界大戦後そのままソ連に抑留され、日本の家族へも連絡できないままに奴隷のような状態で何年も働かされる。1945年の終戦から1956年まで、最長で11年シベリアに抑留された人もいたそうだ。先日サハ共和国を訪れた時に体感した、シベリアの壮絶な寒さを思うととてもじゃないが信じられない。もちろん過酷な環境に耐えきれず亡くなられた方も相当数にのぼった。「罪のない罰」。抑留者の間では、自分たちを嘆いてそんな言葉も生まれたという。

日本各地の引揚港が役割を終えていく中、舞鶴は何年も引揚港の役割を担った。いつしか舞鶴港には戦後連絡が取れなくなった家族が満州やシベリアから引き揚げの船に乗り、舞鶴の地に降り立つと信じ、その日を待つ人々が日本中から集まるようになった。夫や息子の名を記したのぼりを立て、来る日も来る日も帰りを待つ妻や母の姿は「岸壁の母」としてマスコミに取り上げられるようになった。

継承していく必要がある記憶。
「罪のない罰」は未来からなくさなくては。

シベリア全土に広がった抑留者。こんな奥地までにも…

シベリアの過酷な自然の中、食事も衛生状態もまともではなかった。こんな場所で、最長11年間過ごした人もいたという。

自分たちは日本へ帰ることができるのか。それは誰にもわからなかった。

舞鶴港では行方不明の夫や息子の出身地や名前を掲げて待つ人々の姿があった。

岸壁の母たち

抑留者を日本へ戻すためにたくさんの人が尽力した。行方不明になった家族を探して…

引揚者たちが船の上から見たであろう舞鶴港の姿。夢にまでみた母国への帰還。シベリアの地に倒れた同志たちの魂を連れて。

舞鶴湾の眺め。