三方を海に囲まれた千葉県・房総半島。その中でも特に南端の南房総は、東京のすぐ隣県であるにもかかわらずアプローチが難儀なエリアです。空路はなく、館山と竹芝や伊豆大島を結ぶ季節運行便、金谷と久里浜を結ぶフェリーの他は陸路からのアクセスのみ。高速バスでも鉄道でも、東京から南端の白浜まで行くとだいたい2時間以上が必要です。
ただ交通の便が悪いというのも個人的には悪いことばかりではなく、中央のスピード感や流行り廃れにある程度遠ざけられることで残っているものも多いと感じます。東京から2時間程度で、どことなくのんびりした、日本人の原風景とでも言うべき農村・漁村の風景や人びとに出会えるのはとても価値があることなのかもしれません。
また、「はさみうち地域」とでも言うのでしょうか、三方を海に囲まれることでひと・もの・ことが吹き溜まって、化学反応?発酵?みたいな現象が生まれやすいのでしょうか。外部からの刺激や吸収と適度に隔絶されることによって、文化にもオリジナリティが育っていくことはよくある話です。
さて、館山市・渚の駅たてやまに併設された「渚の博物館」(館山市立博物館分館の愛称)。「房総の海と生活」をテーマに海洋民俗資料を展示する博物館です。重要有形民俗文化財の「房総半島の漁撈用具」や県有形民俗文化財の「房総半島の万祝及び製作関連資料」を中心に、房総の漁業に関わる文化や漁民の生活が紹介されています。
1階には館山の有名人・さかなくんのギャラリーが。幼少期のノートやたくさんの原画が展示してあって、ファンにとっては聖地とも呼べる空間が広がっています。
展示室に入ると、まず出迎えてくれるのは立派な万祝(まいわい)。いろんな絵柄の万祝を見学しながら、そこに込められた様々な縁起担ぎを知ることができます。ちなみにイワシ漁が盛んだった房総半島で江戸時代後期に発生したとされているそう。
また、縄文時代から素潜り漁も盛んだった房総半島。かつては房州で採れたアワビを税として都に収めていた記録も残っています。現在でも「房州黒あわび」「房州えび(伊勢えび)」がブランドとして有名です。器械潜水が始まる明治期前後の道具類が揃っており、見比べるのも興味深いです。ちなみに江戸時代の文書には「海士(あま)」と記され男性が多く、明治以降には「海女(あま)」の文字が多く使われたそう。同時期から女性による従事が増えていったことを示しているようです。
片隅でやけに背の高い柱のような漁具に目をやります。どちらかと言うと内房の木更津や外房・九十九里で盛んな貝類を獲る道具「オオマキ」は、船の上から操れるよう見上げるような長さ。この道具を操るとは漁師の体力、膂力は凄まじいものです。
魚がいる時代は、富める海のとなりでこんなにも多様で実験的な民俗文化が育まれていたようです。
魚も貝も、いればとれる。
お金になれば従事者も増えてもっととれる。
技術が進化すれば、日本全国、さらに海外に売れるまでとれる。
だけどその行く先に待っているのは…何も泳ぐものがいない海。
あれ?日本人は自然と共生するのが得意な民族ではなかったっけ?
グローバル経済、テクノロジー、アイデンティティ。
ぜんぶを上手に組み合わせた、持続可能な新しいやり方を考える必要がありそうです。