実家のある熱海への帰省前、小田急ロマンスカーに乗って「箱根本箱」へ2泊の立ち寄り。
不思議とご縁ある元長岡マーノ・佐々木祐治シェフのプレートと、別案件でも大変お世話になっているブックディレクター・染谷拓郎さんの選書に出会える特別な場所です。
昨年オープン直後に伺ってから、同じ時期に2度目の訪問。
6月マンモス展開幕までの日々薄氷を踏むような緊張感から解放された途端、それまでなんとか待って頂いていた案件が一気に動き出しました。
さらに、もはやそういうものだと諦念に近いものがありますが、こういうタイミングに限って絶対にやりたいテーマ、新しく挑戦したい案件が次々と飛び込んできます。
この先に待っている難題難問を思うと頭を抱え込みたくなりますが、幸せでありがたいことだと思う。これからを楽しみきるためにも休むときはしっかり休まなければなりません。
箱根本箱で過ごした時間は、久々に睡眠と読書、温泉、食事をのんびり堪能できる時間になりました。
本棚を何度も行ったり来たりしているうちに、最初は気に留まらなかった本が浮かび上がってくることがしばしばあります。
ブックホテルという空間のなせる魔法でしょうか。本との出会い方にもいろんなかたちがあるようです。
さて、今回の滞在中に出会った本のひとつに、建築家・吉阪隆正氏(故人)の言葉をまとめた『好きなことはやらずにはいられない 〜ことばが姿へ〜』という一冊があり、その中の一節が印象的でした。
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「1+1=1」
二つのみちはまったく反対側を歩いている。
一方はかたちが先で中身はこれにおし込まれる。
他方は中身がさきでかたちはこれを包むだけだ。
その間に歩みよりはなにもない。
この不連続な二つのみち。
これを一つにまとめる作業こそ
設計というものではないだろうか。
前者は人間の感性に訴える。後者はひとびとの理性に訴える。義理と人情ではないが、いわば女性と男性との和合が人生の理想であるように、感性と理性の融合まで二人が努力しあうことが必要なのだろう。それには相当な時間がかかる。いろいろの試みをしてぜひを判定してゆかねばならぬ。結果は至極単純である、二つが一つになってしまったのだから。
二を一にする生みの苦しみ。
これを多くのひとびとはさとらない。それはかくれているから。
1+1=1 この方程式をとくことが設計なのだ。
ときにはΣ1=1となるのだ。
〈今日の建築〉1960年
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1+1を10よりも100よりも大きくしよう、という時代の空気を色濃く感じるのは僕だけではないでしょう。
効率やスピード、影響の広さや大きさみたいなことに気がつけば思考を持っていかれています。
でも、「なんでそうするんだっけ?」「なんのために頑張ってるんだっけ?」みたいなことをたどっていったとき、本当に欲しいものは、この「1+1=1」で綴られた中に示唆されている気がします。
吉阪隆正氏が提唱した「不連続統一体」というコンセプト、とても興味深いものでした。もう少し掘っていってみようと思います。