JAPAN SENSES日本のすがた・かたち

2016.12.07
故・ささやん氏と再会する「追善茶事」

去る2016年11月28日(月)のことです。
樵隠会の同志として茶の湯のステージ造営を一緒に目指した、故佐々木広志氏の「追善の茶事」が執り行われました。


ささやん氏が突然の不慮の事故で亡くなられてから、早くも一年。
(太田氏はいつも「ささやん」と言われていたので、この場でも「ささやん氏」とさせてください)

当時、毎日のように電話でやりとりしていたところに届いた信じられない訃報。
その日から突然、僕のiPhoneにささやん氏からの着信はなくなりました。
「あれ、今日はかかってこないな?」
iPhoneを取り出そうとしては、「違う、もういないんだ」と思いなおす日々が続く。
それはとてもとても急すぎて、信じがたい出来事でした。


ささやん氏は、樵隠会の代表・太田新之介氏の仕事を数十年にわたって支え続けた、まさに「懐刀」と呼ぶに相応しい方でした。
人生をかけて尽くしたいと思えること。自分の生き甲斐みたいなもの。
誰しもそういうものを探しながら生きていくものですが、
ささやん氏は、まさにそれを、太田氏の歩む道に見出したひとりだったのだと思います。

「微に入り細にわたる」
いつも低姿勢で柔らかい物腰の中に見え隠れする、鋼の意志。
東北生まれのささやん氏には、雪国の人特有の頑固さと忍耐強さ、そして懐の深さが感じられました。
台風のように創造し、影響を生み出していく太田氏を、陰から徹底的にサポートする。
太田氏が、いつものびやかでおおらかに企画構想や設計を続けることができた裏側に、
ささやん氏の働きと存在は相当に大きかったに違いありません。
あの日以降、太田氏の背中が少し小さく、声が弱くなったような気がしていたのは、僕だけではないはずです。


茶事は、樵隠会のメンバーであり今回の亭主をつとめてくださった柴山崇史氏・市川和芳氏を中心に、
樵隠会のメンバーを中心にささやん氏と所縁あった方々、そして氏の忘れ形見とも言える日野美奈子氏が出席されました。
和やかに、時に笑い声も響かせながら、各々がささやん氏との思い出を語り、その人柄を偲ぶ…。
一人ひとりのささやん氏への思いが静かに折り重なっていく時間に、胸が熱くなっていく。

最後に柴山氏より、大きなプレゼントがありました。
生前ささやん氏が茶事や酒席などで披露してくれた岩手県民謡の「南部牛追い唄」。
この会のために練習を重ねてきてくださった柴山氏の唄声に、ささやん氏の唄声を重ね思い出します。

人は亡くなったとしても、人のこころの中に生き続けることができるものです。
こちら側に残っている人に、それはすべて委ねられている。
考えかた次第で、いつでも会えるし、交流もできる。影響だって受けられる。
少なくとも僕はそう思っています。

一人ひとりのこころの中に生き続けているささやん氏。
この追善茶事を通して、みんなで会いに行くことができました。
今までで一番、ささやん氏が雄弁に語ってくれたような…

そんな感触が、今も、僕の中に残り続けているのです。