風のハルモニア師匠、仲間、憧れのひと

2017.06.28
建築家・太田新之介さん #2「儀礼儀式とは何か」

建築文化の原点


太田 青森に三内丸山遺跡ってあるよね。

石川 はい。日本最大級の縄文集落跡として有名です。

太田 俺はあそこに2回行ってるんだけど、いや驚いたね。それまでの縄文時代のイメージが一変しちゃった。

石川 というと?

太田 縄文人って、槍持って毛皮のパンツはいてさ、狩猟しながら移動生活してたって習ったわけだよ、昔は。ところが、三内丸山では約1,500年もひとつの場所に定住していて、その間に栗も栽培してたっていうんだから。樹木の皮でポシェット編んだり、なんと漆器まで出土してる。

石川 僕らのイメージよりも、はるかに高度な文明ですよね。

太田 でも何といっても建築的な見地からびっくりしたのは「六本柱建物跡」だ。直径約1mもある巨大な栗の木を加工して、6本の柱で構成された巨大建造物がつくられていた。沈下量から推察して約20mの高さがあったらしいんだけど、その巨大柱が7の倍数の4.2m間隔でぴったり配置されてる。まさに「縄文尺」だよ。

石川 単位基準まで持っていたとは…。

太田 さらには測量の技術まで持ってたということだよ。それだけじゃない、クレーンのような重機も無い時代に、それだけの大きな柱をどうやって立てることができたのか。本当に謎だらけだよな。俺はもう嬉しくなっちゃってさ、帰りの新幹線の中で「俺だったらこうやって、ああやって立てるな」なんてさんざんスケッチしてたんだ。そのときのスケッチブックがまだ2冊くらいあるんだけど(笑)

石川 そのときの太田さんの興奮が伝わってきます。たしかに建築や設計にもダイレクトに結びつきますね。

太田 日本列島にくらす人たちは、太古から身の回りある木だとか、蔓だとか、葉っぱだとか、土や石なんかを使ってきたわけだよ。最初の頃は立ち木なんかに草をひいて雨露をしのいでたんじゃないかな。そういう原始的なものから始まって、もう少し大きな空間が欲しいなってなったときに、柱を立てたり梁を渡したりといった工夫が生まれていった。

石川 必要に応じて建築として発達していったんですね。

太田 俺は考古学の専門家じゃないから、あくまでも建築家としての想像に過ぎないけどね。でもそういった自然物を素直に使う発想は、後世にも受け継がれているような気がする。茶室もそうだけど、自然のものに囲まれた空間というのは、われわれ日本人にとっては心落ち着く場所なんだよ。

石川 ああ、それは感覚的に分かるような気がします。縄文と茶室をダイレクトに繋げる。そういった太田さんの視点は真似できないなあ。

太田 建築の仕事をしているとね、どうしても「人間のくらし」が最大の関心事になる。なぜなら人間の生活環境と文化を形づくる基本的要件が「建築」だから。

石川 なるほど、建築の根幹に住まいがある、と。

太田 そう、住まいが全ての始まりなんだ。そこから家族だとかコミュニティが生まれることで、集会場だったり、祭祀場だったり、大勢の人間が集まることのできる空間がつくられるようになる。用途が広がっていくことで、現在では約300種類とも言われる「建築」が発生するわけだ。もともとは住まいが単位であって、そこでまかなえない人間の活動をかなえるための、自然気象と遮断された空間として建築はスタートした。住宅こそが建築文化の原点なんだよ。だから、住まいについて考えたり学んだりしていないと、建築そのものが分かんなくなっちゃうんだ。


式年遷宮から見えてくるもの

石川 太田さんは伊勢神宮についても研究されていて、本も出版されてますよね。せっかくなのでそのお話も伺いたいと思うんですが。僕も太田さんのお誘いで式年遷宮の「お白石持行事」に参加させていただきましたよね。

太田 2013年、遷宮行事の中でも後半の方だね。

石川 はい。そのときはじめて伊勢神宮を目にしたわけですが、深い森の緑の奥に、そこだけ陽があたって輝いていて。あれはもう自然と拝みたくなるような…。言葉にあらわせないパワーのある建築でした。それを20年に一度、いったん壊して新たにつくりなおす。そんな建築物は世界を見渡しても伊勢神宮くらいだと思うんですが、そこにどんな意味があるのか、そこにも日本人らしさの原型が潜んでいるような気がしているんです。

太田 渉自身はどう考えてるの?

石川 そうですね…。太田さんの本も拝読しているし、自分なりに考えたこともあるんですが。漠然と「循環することの大切さ」のあらわれなんじゃないかと思っていて。

太田 うん。当たらずとも遠からずっていうか、それはあるかもしれないね。リセットするっていうかね。

石川 これは間違った捉え方かもしれませんが、かならずしも同じ形を維持することが大事なのではなくて、いったん壊してゼロから考え直して、あるべき姿をつくるという姿勢と行為。それと、時代ごとに技術のクオリティを問い直すような意味もあるんじゃないかと。

太田 そういう機能もあるだろうね。これは自分の本にも書いたんだけど、式年遷宮がなぜ20年ごとに行なわれるのかということについては、だいたい4つの説が唱えられている。でもね、個人的にはどれもちょっとずつ食い足りないんだよ。たしかに20年くらいのタイムスパンで用意しないと建築のノウハウとしては継承できないから、それも理由としては大きいと思う。あと、20年っていうのはちょうどいいサイクルでもあるんだよね。租税としての米を備蓄できるのは20年が限度だと言われていて、当時は工事費の支払いも貨幣ではなく米でまかなっていたから、その期限なんだとかね、諸説あるわけ。

石川 太田さんはどうお考えなんですか?

太田 これはね、「文化とは何か?」みたいなものと同じ問いかけになる。われわれは「文化」という言葉を何気なく使ってるけど、じゃあ「文化そのもの」を説明しろって言われると、これがなかなか難しい。「共通の知」だとか「後天的に学べて、なおかつ共有できる風習」だとか、さまざまな言い方はある。でもね、俺はどうも文化ってのは「なんだか分からないもの」なんじゃないかと思ってるわけさ、このごろは。

石川 なるほど。

太田 いろんなものが混ざり合って、わけわかんなくなってるものが文化なんじゃないかな。逆に言うとそのくらいにしといた方がいい(笑)。延々と考えたって深みにはまっていくだけだから。俺もいっとき文化の語源について調べたことがあるんだ。いろんな人がいろんな説を唱えてて、なるほどっていうのもあったんだけど、じゃあそれ1つに絞れるかっていったら、どうも違和感がある。そうじゃなくて、いろんなものをひっくるめて、なんだかよく分かんないようなものが文化なんだって捉えると、はじめて理解できる気がするんだよ。

石川 分からないものは無理に分かろうとはせずに、そのまま抱えておけっていうことですかね。それはそういうものとして。

太田 そうそう。そういうものもあるんだよ。だから式年遷宮もね、たった1つの「これだ!」っていう理由じゃなくて、宗教的な意味合いだったり、経済的な理由だったり、技術継承の課題だったり、いろんな要素が絡みあってそうなったんじゃないか、くらいに考えた方が腑に落ちるんだよね。だってあの行事自体、120年以上のブランクがあったんだから。戦国時代にずっと途絶えていたものを、秀吉の時代になってようやく、手がかりも何も無くなっちゃったところから復活させたわけだよ。で、そのときに今の式年遷宮の形式ができたんじゃないか…というのが俺の説なんだけど、くわしくは本を読んでね、と(笑)

石川 そうですね(笑)。太田さんの著書『伊勢神宮』では、最初の神宮は少し離れた場所にあったんじゃないか、とも推察されてますね。

太田 あのへん一帯は氾濫するので、現在の正殿はとんでもなく高い石積みの上につくられてるんだけど、おそらくいちばん最初につくられた神宮は違う場所にあったはず。それが今の「荒祭宮」がある場所なんじゃないかと考えてるんだけどね。地理的にも建築的にも妥当な考察だと思うんだけど。でもまあ例によって俺は逆説的なことしか言ってないから(笑)。ところが最近になって「それは興味深い指摘だ」なんて言ってくれる専門家も出てきたから面白いよね。


儀礼儀式とは何か

石川 じつは今日用意してきた2つめのテーマが「どうやって伝えるか/受け取るか」だったんですけれども、期せずして伊勢神宮のお話と繋がりましたね。

太田 そのテーマにフォーカスしていくと、「儀礼儀式」に行き当たると思うんだけど、そのあたりをもっと深堀りしてみようか。

石川 はい。ぜひお願いします。

太田 数年前、春日大社の「若宮おん祭り」を見学したんだ。それには理由があって、能楽堂の設計を手がけることになったので、その前にどうしても承知しておきたいことがあったんだよね。

石川 それは何ですか?

太田 前々から渉にも言ってるけど、茶事ができないと茶室は設計できないんだよね。

石川 太田さんはよく「茶事ができない茶室は茶室じゃない」とおっしゃってますよね。

太田 そう。ちょっと脱線しちゃうけど、建築家がデザインしたコンクリート打ちっ放しの茶室があるよね。あれなんかまさにそう。新奇性はあるかもしれないけど、そこでちゃんとした茶事はできない。だってさ、あれで茶室って言うんだったら、チタンでつくろうが、ベニヤ板でつくろうが、なんでもいいんだってなっちゃう。極端に言えば、お茶さえ点てることさえできたらトイレも茶室だって威張ってるようなもんだよ。

石川 たしかに(笑)

太田 茶室ってね、そこにどれだけの魂が込められているか、つくった人たちの霊気のようなものがあるのかどうか、そこに決定的な違いがあるんだ。

石川 なるほど。

太田 まあこの話の続きは後で茶室の方でするとして。話を元に戻すと、能楽堂を設計するにあたっては、能楽について知っておく必要がある。それも通りいっぺんの知識じゃなくてね。俺は当時、観世流の謡を習ってた。こないだギンザシックスに移転したけど、渋谷にあった観世能楽堂にも2回ほど地頭として出てるんです。

石川 へえ、それは初耳です。

太田 ちゃんとやってんだよ、これでも(笑)。で、茶室を設計するには茶事ができないといけない。能楽堂を設計するには能楽を知らないといけない。俺はそういうのが身にしみてるから、何でもやってみるわけ。となると、連れ込み宿を設計するには…これはいいか(笑)

石川 脱線しないでくださいね(笑)

太田 それでね、能楽について考えをめぐらせているうちに、昔読んだ本の中に、能楽の前身に猿楽というものがあって、それが日本における芝居の原点だと書いてあったのを思い出した。あとこの「芝居」という言葉もずっと引っかかってたんだよ。「お芝居をする」なんて言い方をするけど、なんで「芝居」っていうのか分かる?

石川 知らないですね。

太田 俳優とか歌手とか実際に舞台に立つ人に聞いてみても、だれも知らないって言うんだ。それで、これはもしかすると歴史をずっと遡っていかないと分からないかもしれないぞ…と思ってたら、ちょうど春日大社の「若宮おん祭り」があると。そもそも春日大社は能楽発祥の地なんだよ。「影向の松(ようごうのまつ)」という、能舞台の鏡板に描かれる老松のルーツとされる松の木もここにある。

石川 それで春日大社に行ってみたんですね。

太田 そう。これがねえ、なんてことはない、実際に行ってみたら一発で分かった。芝生なんだよ、舞台のあたりが。屋外だからちょっとこう盛り上がっててね、芝舞台になってるんです。それでもう一目瞭然、「そうか、芝居ってこれなんだ!」って。後で謡の先生に確認したら「そうだよ。芝居という言葉の由来はそこからきてるんだ」って教えてくれた。

石川 「芝居」の謎がとけた瞬間ですね。

太田 そしてもうひとつ大切なことが分かった。ようはね、最初から能楽堂や能舞台のような施設があったわけじゃないってことだよ。屋外で仮に設営した舞台に神を呼んでたんだ。そこに遊び来るわけだな、神様が。仮設の舞台をつくって神様を楽しませる。きっと笹や竹なんかでつくったんだろうね。つまり先に建物ありきじゃないんだ。いちばん最初に人間のなにかしらを祀ろうとする意識があって、それが徐々に儀礼儀式化されていく過程で、舞台も形づくられていった。そうやって長い時間をかけて、儀礼儀式を行なうために工夫を重ねて、洗練させてきたのが能楽堂であり、寺院であり、茶室なんだ。

石川 芝居の原型から儀礼儀式の根幹に至る、と…。

太田 あらゆるものがそうなんだよ。だからね、これは渉が活躍している分野だと思うんだけど、今のまちづくり、地域の活性化なんかのプロジェクトでも、経済効果や集客に重きを置いてるよね。それ自体はけっして悪いことじゃない。今は数字の裏付けがないと動けないことも多いから。でも、今の能楽堂の話みたいに自分なりに調べて考えていくと、やがて「儀礼儀式とはなんのためにあるのか」というところに行き当たるわけ。なんだと思う? どうして人間は儀礼儀式をつくりだしたのか?

石川 うーん、そうですね。それもやっぱり言語と近い感じがしていて。共通の体験とか理解、約束事のようなものを同じ共同体の中にいる人たちで分かち合うためというか…。

太田 まあ近いな。これはけっこう重要なことだと思うんだよ。まちづくりとか、地域の活性化とか、お祭りのようなイベントをつくるとかって、全国的にいろんな取り組みがあって、俺もときどき相談を受けるんだけど。その9割方が「こうすれば人が集まる」「人が集まれば儲かる」って発想。でもそれだけだと、人が集まらなるとすぐに消えちゃう。そういう事例はいっぱいあるでしょ?

石川 残念ながらそうですね。

太田 それはね、「どうしたら儲かるか」だけだからだよ。もちろん儲かることは大事。でも、それだけが先行して目的になっちゃうとほとんどが失敗する。一過性のものじゃなくて、何百年も子々孫々まで続けられるものにしたいという発想がどこかにないといけない。その一方で、数百年、場合によっては1000年以上も続いてきたようなお祭りもあるよね。その違いってどこにあると思う?

石川 儀礼儀式化することで、時間を超えて伝えられるものがありますよね。

太田 それはもちろんある。でもこの問いは、儀礼儀式のオントロジーというか、根源にあるものは何かってことなんだ。たとえば、茶事だって茶室という空間で行なう儀礼儀式だよな。あれほど信号機が詰まってる空間は無いんだよ。こっちから入れ、ここにいろ、そこではこうしなさいって、全てに制約のある空間なんだから。そんな場所で何をするかって、ただお茶を一服のむだけなんだよ。お客さんをお招きして、4時間くらいかけて、気持ちよく帰す。そこにあるのは、おもてなしだけなんだ。ただそれだけのために、あれだけの準備と心配りをする。ときには半年もかけてね、俺は茶碗を焼いたりもするから。なぜこんな七面倒くさい儀礼儀式が、ずっと受け継がれてきたかってことだよね。

石川 うーん、これまた難しい設問だなあ。

太田 渉もね、これから自分なりに考えて、こういった原理原則をつかんでおかないと。あらゆることが一過性の、いや、食っていくためなら一過性だっていいんだけどさ。ただ、ここのところが分かってないと、ただの儲けの手先になっちゃう恐れがある。今はいいかもしれないけど、そのうち行き詰まってくる。俺が建築家としてこれまで生きてきて、この歳まで自分を支えていられるのは、基本的にはそこなんだよ。自分を支えていくものをつくっていくのが建築なんだ。簡単に言うと。クリエイターと呼ばれる連中は、自分を創造する日々をくり返していく生き物なんだ、本質的に。

石川 はい。

太田 さて、なんだと思う? 儀礼儀式をなぜ人間が行なうのか。俺はね、キリスト教の教会でも、インドに旅行をしたときも、世界中でいろんな儀礼儀式を見聞してきた。対象は神様や仏様だけじゃないよね。自然相手にもやってる。

石川 自分たちがより良く生きるために考え抜いたことを、儀礼儀式のような求心力のある営みにメッセージとして詰め込むことで、自分の子どもや孫たちに伝える。そしてその中にあるものを、いつでも引きだせるようにしたのかな…。

太田 そういう機能ももちろんある。でも、一言であらわすとしたら何だ。儀礼儀式をなぜ行なうのか。結婚式をなんでやるのか。葬式をなんでやるのか。みんなあることのために行なってるんだよ。我々はその原理原則を承知してないといけない。

石川 「文化の継承」だと、ちょっと軽いのかな…?

太田 いや、軽いんじゃなくて分からない。そもそも文化ってものが、わけの分からないものなんだから。

石川 教訓とかですか?

太田 教訓もあるよね。でも教訓だけじゃないんだ。もっと根本的なもの。

石川 人を超越したものと交流するため。神や自然とか…。

太田 そうなんだけど、その結果として起きることがじつは答えなんだよね。俺流に言わせると、儀礼儀式の根幹は「人と人を結びつけること」なんです。シンプルに、ただそれだけ。そのために必要なのが神仏だったり、自然だったり、トランス状態の人だったりする。そこはなんでもいいんだけど、ようするに人と人を結びつけるシステムとして人間が編み出したのか儀礼儀式なんだ。

石川 なるほど。

太田 儀礼儀式というのは、コミュニティを維持するために人間が編み出した、もっともうまい構造だと思うよ。そういう仕組みをつくることによって、そこに集う人たちを結びつける。対象が神だとしたら、神様のもとで人と人が結びつく。だからゾロアスター教なんかの原始宗教でも火を使うわけだ。日本でも比叡山延暦寺の不滅の法灯なんて、1,200年も灯火を絶やしたことがない。ああいうものがなぜ必要かというと、儀礼儀式を求心的にするためだよね。人間の心をつかむのは古来から火なんです。LED照明じゃダメなんだ(笑)

石川 そう考えると、儀礼儀式の意味もより深まっていきますね。

太田 現代でもイベントとして新しいお祭りをつくったり、地元の特産物に結びつけた催しもあるよね。でもそれだけだと、その特産物が売れなくなったりしたら、そこでお祭りはおしまいになっちゃう。そこに何かしら儀礼儀式の要素がないと、けっして続かない。

石川 お祭りの魂みたいなものか…。

太田 まさにそう。人間がこれまでの歴史の中で、いちばんうまく、これだったら無理なく続けられるな、と長いことがんばってきたやり方が神仏さ。神様仏様なんだ。これを対象にしてお祭りをつくると、時代ごとに工夫を重ねたり、リセットしたりして、最適化させていくことができるわけ。だから、さっきの式年遷宮でも、祇園祭でも、ねぶた祭りでも、最初の頃とは変わってるはずだよ。今まで続いているものは、ちゃんと現代のお祭りになってる。

石川 おっしゃる通りかもしりません。

太田 お祭りとかまちおこしは、その土地にしかない神仏や自然。そういったものを対象に人と人を結びつける仕組みを形式化するとか、どこかに意識させるようにしたら長く残る。だからね、建築でもなんでも、自分の中に崇高な気持ちが打ち立てられないと、すぐれたものはできないんだ。

石川 なるほど、肝に銘じておきます。

太田 俺なんか木造建築をやってるだろ。そうすると木を切り出すために山に入ったときにね、こう一本一本抱きしめて…セミみたいにくっついて抱きしめるから恥骨が痛いんだよ(笑)

石川 それは太田さんが強く押し付けるからじゃないですか(笑)

太田 そりゃそうか(笑)。だってさ、何百年も昔からそこに生えてた大木をこっちの都合で切るんだぜ。そりゃあ一本ずつ抱きしめてお参りしちゃうよ。自然とそういう心持ちになるんだ。そうするとね、いっしょにいる連中も感動するんだよ。つまり、それが俺の儀式なんだ。分かるでしょ? そのかわり、まわりに人がいないとやらない(笑)。まあやるかもしれないけど、一人だとおっかねえからな、なんせ深い山奥なもんだから。

石川 個人にも儀礼儀式が内在してるってことですよね。

太田 岐阜の「瑞龍寺僧堂」を手がけたときもね、木曽の山奥に入って、木を何本も切ったんだ。そのときも俺がそれをやったら、案内してくれた樵のお爺さんも、作業をする営林署の人たちも、みんな感激しちゃってるわけ。これが儀式だよ。それをすることで、みんなの気持ちがひとつになる。インドやネパールやブータンに行ったときも、なぜ儀礼儀式を見てまわったかというと、儀礼儀式が人間を接着するということを確認してたんだよな。どれも素晴らしい体験だったけどね。



(つづく)