FURUSATO JOURNEY故郷を探して

2017.07.30
幼少期のすべて・相武台への帰還

小学校二年生まで住んだ座間市相武台を30年ぶりに訪れてみた。

当時の我が家が今もそのまま残っていて衝撃を受ける。(多少ジャングル化しているが)
木造平屋建て、庭が結構広い家だった。
山の中というわけじゃないけれど、自然に囲まれて育ったんだった。

…というか、その一画だけ時間が止まったように風景が変わっていない。
建物はボロボロになって、居住者のいない家もあるようだが、
近くの小道も、畑も、友達が住んでいた家も、不気味なほどに変わっていない。

まるで時間の迷子になったようだった。
懐かしいだけじゃない、不思議な場所だった。


何にせよ、僕はまた帰ってきたぞ。

小田急線・相武台前駅に降り立つ。当時の駅舎とはもちろん違うのだろう。見覚えは全くない。

駅前は開けて、商店街になっていた。ここも同じく見覚えはない。おそらくこの道は再開発で整備されたと思われる。

かつての家と駅の中間地点くらいに、「ことぶき屋」があった。駄菓子、特にビックリマンを毎日のようにここで買っていた記憶が僅かにある。見ると思い出すもので、こちらがビックリした。

ことぶき屋の正面の道を入っていくと、突然緑の深い路地になる。

当時通っていた「相武台幼稚園」。僕はここの卒業生だ。後者は新しくなっていた、ささやかな広さの校庭だが、当時は広大に感じていたものだ。木登りをして怒られた木は無くなっていた。

自宅があった区画だけ、かつての建物がそっくりそのまま残っていた。全部木造、平屋建てのまま。道も当時のまま、舗装されていない。こんなことってあるのか。

家があった通りに出た。ここも全く風景が変わっていない。手前からひとつ、ふたつ、みっつめの家がかつての自宅だ。

着いた。当時から緑は多かったが、一層深く茂っている。30年経っているというのに、変わっているところを明確に見つけられない。あの時のまま建っていた。

仲の良いふたりの友達が住んでいた家。スーパーマリオ3をたくさん遊んだ。その後、チャールズ君がここに引っ越してきた。

この小道も当時のまま。暗くて少し怖かったが、お気に入りの公園に行くには通らなければならない道だった。ここもほとんど変わっていない。

この道の脇には公民プールがあった。ときおり母に連れてきてもらった覚えがあるが、いかんせん泳ぎはそこまで上達しなかった。

小道の終わりから、家の方を眺める。頭上には栗の木が生えていて、秋にはたくさん栗が取れた。それにしても幼少期とはスケール感が全く異なるものだ。この道もすごく長いイメージがあったが…

自宅の正面にあったクヌギの大木。樹液が豊富でカブトやクワガタがたくさん寄ってくる木だった。よく早朝に父を無理やり起こして、木を蹴ってもらった。振動にビックリした昆虫が足を引っ込めて落ちてくるのだ。

小学校の方へ向かう。この道の両側はそれなりに深い雑木林だった気がするが、整地されて畑と物置スペースになっていた。当時の感覚ではかなり広くて深い雑木林だったが、このくらいの広さだったのかと驚く。

畑が多い土地だった。今度来た時はここの野菜を食べてみたいと思った。

毎日の通学路だった歩道橋を渡る。当時はこの歩道橋から先は、小学生になるまで未踏の地域だった。ドラクエで言うとアリアハン大陸からポルトガへ渡ったように、小学生になると世界が広がったことを覚えている。

小学校へ坂道を下っていく。当時はもっと細い道だったと思うが、危険だったのだろう、幅広く舗装されていた。

小学二年生まで通っていた「相武台東小学校」。校舎やグラウンドの雰囲気は当時と変わらずである。好きだったブランコもまだあった。