JAPAN SENSES日本のすがた・かたち

2019.09.29
今では見られぬ職人の絶技・銘木と出会う「遠山記念館」

木の建築家・太田新之介氏の催しで、日興證券の創立者・遠山元一氏が建てた遠山記念館(川越)で勉強会がありました。昭和11年竣工。

建坪400坪というスケール感、携わった職人は35,000人、関係者を全て含めると10万人を超える大工事だったそう。当然莫大な経費が必要になったはずですが、施主にとってはあまり問題ではなかったようです。彼にとっては最高の質の建築を実現させることだけが重要だったとのこと。竣工の翌年から日中戦争が始まり、職人や建材の面でとてもこのような造営工事ができる状況ではなくなっていったことを思うと、現代になってその価値はいっそう輝きを増しているのではないかと思います。

様式的には、関東の豪農の邸を思わせ得る東棟、近代風を加味した書院造りの中棟、仏間を備えた京間の数寄屋造りの西棟の3ブロックに分かれていて、それぞれは渡り廊下でつながれています。当時の最高技術の大工・左官の仕事が多種多様、細部に至るまで詰め込まれ、全国から集めた今日では手に入れることのできない材料との出会いもあり。実物は目の前に存在するのに、今のところ再現できないものばかり。なぜ人はそこまでこだわることができるんだろう。

以下、遠山記念館元館長・友部直氏が図録に寄せた前書きより。
『遠山邸は、わが国の建築史上、幾つかの特長的な性格を備えている。貴重な素材や優秀な職人技術の点でそれは日本の伝統的な木造建築の正統を踏む物であるのはいうまでもないが、加えて、建築デザインの基本的な理念としてえ、性格の異なる幾つかの要素の綜合を意図している点が注目される。近代的な機能を備えた住宅でありながら、豪農の家を模したり、数寄屋風であったりするのはその一例であるが、それが形式上の安易な折衷とならないように、巧妙に各棟を分離するなど、細心の配慮がなされている。重厚な長屋門をくぐってからの動線が、緑の庭園を巡りつつ、ごく自然に一種の安らぎのある居住空間に導かれ、やがて端正な広間へとつながり、更に一転して、奥の数寄屋造りの典雅な静寂へと至る。そこには美しく変調する音楽にもたとえられる、知的な遊びさえ感じられるのである』

恵比寿から桶川まで1時間ちょっと。そこからタクシーで15分。マイカーでないとちょっと行きづらいかもしれません。時期は終わりかけですがハスが咲いていました。

立派な門構え。近世の大名屋敷や代官屋敷の長屋門という門形式を参考にしたそうです。屋根の勾配を緩くしたり、出格子を設けたりする事で厳しさを軽減しているという。

日興証券の創設者、遠山元一氏の邸宅であることを紹介する盤面。

遠山元一氏が母、美以のために建てた邸宅とされています。日本各地から銘材を集め、当時最高の建築技術を駆使しました。

9月中旬。庭園に入ると、紅葉が始まりつつありました。

東棟は千鳥破風を収めた茅葺屋根。豪農であった生家の再興を願い、茅葺にこだわられたそうです。

あまりにも立体的な欅(けやき)の玉杢が張られた表玄関の天井。現代の金額に換算すると恐ろしいことになるようです。

足元にあるのは京都の鞍馬石。 現在では採石がストップしているそう。表面は皮がむけたようになっていて、独特の表情をしています。現代はともかく、100年前に京都からここまで運んだことを思うと、とてつもないことだと感じます。

東棟に入りました。襖の柄、天井の材料や意匠も、部屋ごとのテーマに応じてすべて異なります。イマドキの時短とか効率とかコストパフォーマンスとは明確に異なるコンセプトを感じます。

東棟の高天井。木組がしっかりと見えます。

居間には囲炉裏と縁無し畳で民家風を演出。元々は天井がない空間だったようですが、お母様にとってはやや肌寒い空間だったらしく、後から天井が設けられたそうです。

斜めに入った畳は地元の現代アーティストによる作品とのこと。少しずつ異なる建具格子のリズム感にも注目。

4つの異なるデザインから構成された天井。一番大きな面積を占めるのは椹(さわら)の扮木を編んだ網代天井。

格子模様が一つひとつ違う。

東棟から中棟へ廊下を移動。途中にはお手洗い・浴室がありました。

お手洗い。流しの脇にある名栗の曲木が印象的。壁は淡い紅色の磨き壁。

浴室。当時、田舎町には珍しいシャワーも取り入れられました。

中棟、書院造りの大広間。

大広間から中庭を眺める。この座敷からの眺めが一番美しく見えるように考慮して庭全体を設計しているそうだ。また、特注のガラスは当時アメリカから取り寄せたと言います。このパノラマの風景をどうしても実現させたかったのでしょう。

襖には松が生えた山の遠景が描かれる。これは「遠山」を表現したとのこと。

壁にホタルの光のような粒がぽつぽつ浮かび上がった「ホタル石」という仕上げ方だそうだ。

建物に取り込む形で金庫もありました。

光が漏れているのは無双窓と呼ばれるもの。引き戸のようになっていて、手前側を手でスライドさせると開口部が大きくなります。

中棟から西棟へ向かう渡り廊下。左側の柱と右側の柱で仕上げ方が異なり、中棟・書院造の角柱と、西棟・数寄屋の面皮柱が同居しているという興味深い場所。

西棟7畳の間。壁を見てみると、煤けたような墨地から赤茶の帯が浮き出している。

茶室の

西棟12畳の間。

天井は薩摩杉=おそらく屋久杉だろうとのこと。

欄間には桐花の透し彫り。

西棟の仏間。先祖と仏像をまつる須弥壇の扉。宝相華が浮かし彫りされている。

西棟のお手洗い。鮮やかな紅色の磨き壁。左官職人の世界では相当に有名な聖地になっているそうです。

薄く削いだ竹を組み合わせて作られた格子。

中棟2階の応接室のドアにあった浮き彫り装飾。要は一枚板を削り出してこの文様を浮かび上がらせているという大変な手間。白っぽくなっているところは象牙。伝統的和風建築の約束事に縛られない自由で多彩な装飾。

中庭へ向かう門。

中庭から中棟を見る。上方を凸に反らせたむくり破風を正面に見せる入母屋屋根の2階建て。