木の建築家・太田新之介氏の催しで、日興證券の創立者・遠山元一氏が建てた遠山記念館(川越)で勉強会がありました。昭和11年竣工。
建坪400坪というスケール感、携わった職人は35,000人、関係者を全て含めると10万人を超える大工事だったそう。当然莫大な経費が必要になったはずですが、施主にとってはあまり問題ではなかったようです。彼にとっては最高の質の建築を実現させることだけが重要だったとのこと。竣工の翌年から日中戦争が始まり、職人や建材の面でとてもこのような造営工事ができる状況ではなくなっていったことを思うと、現代になってその価値はいっそう輝きを増しているのではないかと思います。
様式的には、関東の豪農の邸を思わせ得る東棟、近代風を加味した書院造りの中棟、仏間を備えた京間の数寄屋造りの西棟の3ブロックに分かれていて、それぞれは渡り廊下でつながれています。当時の最高技術の大工・左官の仕事が多種多様、細部に至るまで詰め込まれ、全国から集めた今日では手に入れることのできない材料との出会いもあり。実物は目の前に存在するのに、今のところ再現できないものばかり。なぜ人はそこまでこだわることができるんだろう。
以下、遠山記念館元館長・友部直氏が図録に寄せた前書きより。
『遠山邸は、わが国の建築史上、幾つかの特長的な性格を備えている。貴重な素材や優秀な職人技術の点でそれは日本の伝統的な木造建築の正統を踏む物であるのはいうまでもないが、加えて、建築デザインの基本的な理念としてえ、性格の異なる幾つかの要素の綜合を意図している点が注目される。近代的な機能を備えた住宅でありながら、豪農の家を模したり、数寄屋風であったりするのはその一例であるが、それが形式上の安易な折衷とならないように、巧妙に各棟を分離するなど、細心の配慮がなされている。重厚な長屋門をくぐってからの動線が、緑の庭園を巡りつつ、ごく自然に一種の安らぎのある居住空間に導かれ、やがて端正な広間へとつながり、更に一転して、奥の数寄屋造りの典雅な静寂へと至る。そこには美しく変調する音楽にもたとえられる、知的な遊びさえ感じられるのである』