むかし山の師匠に連れて行ってもらった新潟県の湯治秘湯宿「栃尾又温泉 自在館」。
あれから5年くらい経ち、いろいろ振り返っている中で再訪したい思いに駆られ、今年になって行く機会を得ました。
当時は師匠(当時68)と、ご友人の方(当時70歳くらい)の方と、男三人で。僕だけ29歳くらいでした。
宿泊したのは湯治部で、近所の直売所で買ったキノコを使ってキノコ鍋を作り、焼酎をひたすら飲んでいたような記憶があります。いや、飲まされすぎてその夜はほとんど記憶がありません。
当時、「日本屈指のラジウム泉」という希少価値にも驚きましたが、何よりその温浴スタイルが衝撃でした。
「不感温度」と言って、35-6℃くらいの湯温。
みんな黙って2時間くらい浸かっています。本を読んでいる人もいたり、瞑想している人もいたり。
この自在館に何百年も受け継がれている「長湯」というスタイルなのです。
師匠や周りの人を見よう見まねで真似て、長湯の初体験をした、あの当時の戸惑いが懐かしい。
時は過ぎ、現在。
栃尾又温泉へは、北陸新幹線の浦佐駅にて乗り換え、小出駅で降り、タクシー又はバスで向かいます。
ずっと行って道の行き止まりに宿があります。「自在館」を含めて3軒の宿。その中で自在館は本家の扱いを受けているそうです。
湯治宿としては、江戸時代初頭のあたりの慶長年間(1596~1615年)に創業したと伝えられています。
ちなみに栃尾又温泉自体の開湯は8世紀前半の奈良時代(養老年間)、1250年以上の歴史を有しているようです。
当時から病に悩む人が遠方より湯治に訪れていたそうですが、こうした栃尾又温泉の評判の効能が「ラジウム」によるものであることが科学的に証明されたのは近年のこと。
数百年から1000年がかかった口コミ、その信憑性たるや相当のものです。まさしく「霊泉」ですね。
自在館のHPにはこうあります。
"源泉「栃尾又1号」は、固体であるラジウムから出るラドン(気体)が湯に溶け込んでいる。 そのラドン含有量は、185×10-10Ci/㎏(18.5ナノキュリー)。別な言い方をすれば、50.9マッヘ。 「放射能泉」の定義の基準値の、なんと6倍以上も入っている。 国内屈指のラジウム泉と称される所以である。一般的には、放射能というと人体に害があると思いがちだが、栃尾又の放射能泉は、レントゲン等の放射線量よりずっと少ない量となっている。"
このお湯が、栃尾又温泉では36〜37℃で自然湧出しています。
実はこの温度が奇跡的なことであり、これによって加水・加温することなく、不感温度の掛け流し浴槽を提供できるというわけです。
ちなみにここで長湯の温浴効果を簡単に紹介。
まず、浮力が働き体がふわふわ浮いたような感覚。これが副交感神経へじわじわ作用して、リラックス効果が期待できます。
(ちなみに、これに対して41-2℃くらいのお湯は区交感神経に影響。気分爽快!とか、やる気アップ!とかが期待できます。)
そして、長時間浸かっていることによって温泉成分が体の中にたくさん浸み込んでくること。(ラジウム泉の場合は呼吸を通じて体内に入る)
水圧によって血流促進マッサージ効果、呼吸器のトレーニングにもつながります。
また、ここの泉質の一番の特徴でもある「ラジウム泉」については、自在館HPに詳しく記述されています。
“適度のラドンによる刺激は、新陳代謝を促し、人間の免疫力 や自然治癒力に寄与すると考えられている。 これを「ホルミシス効果」と呼び、国内では鳥取の三朝温泉などをはじめ数か所で研究が進められている。 放射能線が湧出する温泉地で、その温泉を日常的に使用している住民のガン発生率が、全国平均よりも相当低いというデータもある。”
“「自在館」のぬる湯の温泉は、何も現代の温泉分析表だけで表現しきれるものではない。開湯より1250年もの長い間、人々に支持されていたのはダテではない。古くから伝わる、いわゆる伝承による温泉の効能というものもあるのだ。 「自在館」の温泉は、卵巣、睾丸など生殖器の機能を高めるとも言われ、今では「子宝の湯」として全国的に有名になった。利尿作用もあるため、尿路慢性炎症にもいいとされ、糖尿病にも効果ありと聞いた。 最近では、軽度のアトピー性皮膚炎にもいいと評判だ。考えてみれば、pH8.6のアルカリ性の湯。皮膚の古い角質層や皮脂を除去するのは、お手の物なのだ。"
大浴場は「うえの湯」「したの湯」に分かれていて、上の方はわりと最近リニューアルされたもののようです。設備は清潔で新しい印象。
下の湯は、昔ながらのひなびた雰囲気が素晴らしく、秘湯ファンとしてはやはりこちらで長い時間を過ごしたいものです。
まあ浴槽でのお湯の状態には変化がないようですし、どちらか空いている方にゆっくり入るのがよい、という部分もあります。
この湯に浸かり、目を閉じ瞑想するように過ごしていると、普段は考えられないさまざまなことに思いが行き渡りはじめます。身体はフワフワと浮かび続けているとやがて実体がなくなったようになり、そこには僕の意識体だけがただ浮かんでいる、そんな感じです。
自分自身への立ち返りを求めて、ここに来たのかもしれない。
夕餉は炭火で焼いた川魚が目玉。
最後の〆で給された焼きオニギリは、新潟に住んでいた頃の懐かしい味がしました。