長野駅で新幹線から長野電鉄に乗り換え、特急スノーモンキー号で20分。
遠く正面に見えていた雪化粧の山々がみるみる近づいてきます。
白がよりはっきりと白く、あたりが銀色に包まれていくにつれ、あまり雪を見慣れない外国人観光客のざわめきが大きくなってきます。
蔵の町として知られる須坂駅で降りると、そこからさらに路線バスで凍り付いた雪道を40分。同乗者はひと組、いかにも各地の秘湯めぐりをされていそうなご年配の御夫婦だけ。
今回訪れたのは須坂のさらに奥、仁礼という集落にある「仙仁温泉 花仙庵 岩の湯」です。
日本秘湯を守る会の会員宿ですが、最も予約を取ることが困難な宿として知られています。泉質、空間、食事、ホスピタリティ、すべてが別格の素晴らしさだと。WEBサイトも無く、予約受付は館への電話のみ。今回は半年前からの予約でやっと伺うことができました(最短の日程をお願いしたが、それでも予約が取れたのはすべて平日の二泊三日でした)。
こちらの目玉は全長40メートル近くはあろうかという混浴の洞窟風呂です。ざぶざぶとお湯をかき分け暗がりを進んでいくと(ちょっとした滝を登ったりもする)、最奥部から毎分250リットルの源泉が湧き出ています。そこは一人、二人湯に浸かってしまえばいっぱいになってしまいそうな源泉スペースで、照明はほとんどなく、真っ暗です。湯温はおおよそ35℃。湯沢の貝掛温泉と同じく不感温度のアルカリ泉です。熱くもなく冷たくもなく…柔らかい湯あたりと、適度な水圧を感じながら1時間以上の時間を過ごします。やがて、足元から泡が出ているのにも気づきました。どうやら足下からも湧出しているようです。これ以上ないフレッシュな源泉です。
真っ暗闇で何も見えず、聞こえるのはお湯の流れ落ちる轟音のみ。肌に感じる素晴らしい湯の感触以外には、何も情報がありません。もちろん時計などなく、時間の感覚が失われます。自分という器も、温泉に溶けて流れていってしまうような感覚です。
はるか昔に生きた人々も、この空間に存在するときは同じ感覚になっていたのでしょうか。
ちなみに混浴の洞窟風呂の他に、内湯と露天、4種類の貸切風呂が利用できます。どの湯船も源泉掛け流しで、多少の加温がしてあり40度程度です。貸切風呂はそれぞれに個性が異なり、巡る楽しさを与えてくれます。
いいところを挙げるとキリがない宿でしたが、最も印象的だったのは建築や空間演出へのこだわりでした。
仙仁川沿い、山の斜面を覆うように建てられた館は、内と外のシーンを巧みに織り交ぜた構成になっています。屋内を歩いていたかと思うと、突然雪の積もる中庭が現れたり。樹齢数百年の大木が建物を貫いていたり。とにかくドラマチックな空間の連続です。迷路のように入り組んだ館内には、あちこちサロンのようなフリースペースが配されていて、自由に使うことができます。館内は至るところに野山の草花が上品に飾られ、豊かな気持ちにさせてくれます。
とにかく、徹底的。ここはお金が足りなかったのかなあとか、違う素材だったらもっとカッコいいのになあとか、そういうことがほぼありませんでした。空間への強いこだわりと哲学を持って、とことん考え抜いて、カタチにしている。空間が持っているちからがとてつもない宿です。これだけでも来た甲斐があったと思っています。
食事は1日目は和会席、2日目はフレンチのコースになりました。
ここは深い山の中…基本的に海の素材は使わないことに好感を持てます。コイ、イワナ、マス、サーモン、大好物の淡水魚に舌鼓。キノコを中心とした山の恵みも力強い味わいです。基本的にごく薄味。あっさりとした味わいに辛口の純米酒を合わせて頂くのが非常によろしい調子でありました。
こちらの旅館は年間25日程度の休館日があり、従業員さんの休暇に当てられていることでも知られています。従業員さん自身が人間的であり充実した人生を楽しんでいないと、満足なおもてなしができるはずがないだろう…という経営者の哲学によるものだそうです。本当に素晴らしい。接客を受けていても、一人ひとりがのびのび、楽しんで働いているのが伝わってきます。それがまたお客さんの心を掴むのでしょう。
秘湯の宿、という言葉では表現しきれない素晴らしい個性とクオリティを持った宿。他に比べられる場所がありません。世界観は全然違いますが空間とホスピタリティの質はアマネムに比肩するように思えたし、泉質は最もお気に入りの貝掛温泉にとても近い。
帰り際に次回の訪問を予約されるゲストも多いと聞きました。はるか半年以上先の予約が、すでにいっぱいに入っているのです。僕も次また訪れることができる日を楽しみに…。
秘湯めぐりに精を出したいと思います。