風のハルモニア師匠、仲間、憧れのひと

2017.06.27
建築家・太田新之介さん #1「日本、そして日本人について」

風のハルモニアの第2回は、木に精通する建築家であり、茶人でもある太田新之介さんにお話を伺ってきました。

「これから自分はどうやって生きていくのか?」
だいぶ昔ですが、そんなことが気になって、わからなくて仕方がない時期がありました。
ちょうど日本を未曾有の大災害が襲った頃だったからでしょうか。
会社を辞めて、もう企画やらクリエイティブの仕事なんか絶対やらないと腐っていた頃だったからでしょうか。
モヤモヤにつぶされそうで、これからの日々に拠って立つものをすがるように探していた時期…
とにかく毎日が悶々と苦しかった。

僕はラッキーでした。
太田さんは、熱海・伊豆山にある石川の実家を設計してくださった建築家であり、伯父でもあります。
正月だったか、親族の集まりで久々に太田さんの隣に座りました。
太田さんの口から語られる、茶事のこと、木の文化のこと、日本の建築のこと、日本人の美意識や価値観のこと…
小さい頃に聞いていたのとは明らかに違うビビッドさで、僕のこころを激しく揺さぶりました。
ああ、自分はこれをやっていきたい、と思えるものが見つかった瞬間でした。

それはやはり生涯にわたり企画構想をやり続けていくという決心であり、
日本人らしさにこだわってそれをする、ということだったのです。
その先に何かが待っている予感があった。

日本のことをあれこれ探しながら、
日本人らしい企画構想を、今も追いかけ続けています。


かなりの長編になりますが…
自分とは、日本人とは何者か?
ご興味がある方はご覧になってみてください。


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日本、そして日本人について


太田 対談はどんな風に進めるんだい? テーマに沿って話をしていけばいいのかな。

石川 はい。きょう僕が用意してきたテーマの1つめは「日本・日本人のすがたとルーツ」です。このことについては、かねてから太田さんにお話を伺ってきました。「日本人とは何か」「日本とはどういう国なのか」という根源的な問いに、はたして僕らは答えられるんだろうか。だれもが納得のいく解答をすっと提示できる人って、それほどいないんじゃないかと思っていて。でも、太田さんはその答えをご存知ですよね。それをぜひ、僕や僕のまわりの人たちに教えていただければと。

太田 分かった。そうすると、まずは日本人の定義だよね。「何をして日本人というか?」―これね、若い人たちにときどき質問してみるんだよ。優秀そうな若者に出会うと、ちょっと意地悪して試してみるわけ。

石川 シンプルなだけに答えるのが難しい問いかけです。

太田 じつはこの質問には背景があってね。もう数十年前のことになるんだけど、某スーパーゼネコンに勤めていた友人がイランに赴任することになった。大規模なプラントを建設するにあたって、現場監督として赴くことになったんだな。「じゃあ行ってくる」「おう、またな」って送り出して、それから3カ月くらいで連絡が来た。なんでも所用で日本に一時帰国するんで、俺と会って呑みたいって言うんだよ。はじめは「こないだ見送りで会ったばかりだし、もうちょっと後になってからでいいよ」って渋ったんだけど、どうしても会ってくれって言ってきかないわけ。それで仕方なく会うことにした。そのかわり条件を付けてね。「会ってもいいけど、銀座の高級クラブでドンペリ呑ませろ」って(笑)

石川 ああ…(笑)

太田 それはしょうがない。人間なんて損得で動いてるんだからさ(笑)「情けは人のためならず」とも言うだろ? まあそれで、3カ月ぶりに会ったわけだ。そうしたら奴が質問してくるんだよ。「太田、俺は日本人か?」って。

石川 それでこの問いにつながるわけですね。
太田 最初は俺も面食らったけどね。でも、質問してる方は真剣なんだ。俺が「なに言ってるんだ、お前は日本人だろう」と答えたら、「じゃあ、何を指して日本人って言うんだ?」って食い下がってくる。

石川 どんどん深堀りしていくんだ…。

太田 こっちも驚いて「なんでそんなことを俺に聞くんだ?」って聞いたら、「お前はずっと日本という国を追いかけてるからだ」って言うんだ。というのも、その頃から俺は日本の木造建築を研究していたので、そのルーツを探るために縄文時代や旧石器時代まで遡って調べたり、自分なりに考察を重ねていた。だから彼も「太田なら日本のことを知ってるだろう」って思い当たったらしいんだな。

石川 当時から太田さんのテーマは決まっていたんですね。

太田 で、なぜ彼がそんな質問をしたかというと、イランで暮らしていると「あなたの国の文化は何だ?」ってよく聞かれるらしいんだな。「日本とはどんな国なんだ?」「あなたはどういう宗教を持っているのか?」「どんなものの考え方や暮らし方をしているんだ?」なんて質問される。でも彼はうまく説明できないんだって言うわけ。

石川 海外ではじめて日本と直面することになったんですね。

太田 「日本の文化とは何だ?」なんて真正面から問われても、ろくに説明できない。それで彼が言うにはね、イランでは太陽が砂漠の向こう、広大な地平線から上ってくる。その雄大な景色を実際に目にしたとき、彼が何を思ったかというと「この地では一神教じゃないと生きられないのではないか」ってことだったらしい。

石川 風土と宗教が結びついている…。

太田 なのに日本に帰ってくると、そのへんの洞(ほら)に神様が祀ってある。町でも道ばたでも田んぼでも山でも海でも、いたるところに神仏がいる。それを目の当たりにしているうちに混乱してわけが分からなくなってきた。自分が本当に日本人なのかどうか確信が持てなくなってしまった。つまりはそういうことなんだ。

石川 文化的アイデンティティ・クライシスですね。

太田 まあそんな話をね、銀座のクラブでドンペリ開けて。ホステスさん三人くらいに座ってもらってね(笑)

一同 (笑)

太田 いいんだよ、どうせ向こうの会社の経費なんだから(笑)でも同時に「こいつ、真面目だなあ」って感心したんだ。それを問うためだけに、わざわざ俺と呑む機会をつくったわけだから。そのとき分かったのは、人はなぜ生きるのか、何をするために生きているのかっていうのは、「自分を知る」というところに拠って立っているんだということ。それをあらためて得心したんだ。自分のことを知る。いかに生きていくのかを考える。結局のところ人間という生き物は、生涯このテーマを追いかけて、それをベースにして生きていくっていうのが分かったんだよ。だからこそ、アイデンティティを見失うってことは本人にとって何よりも辛いわけ。

石川 切実な悩みですよね。

太田 ちょっと前置きが長くなったけど、この体験を通して得た俺なりの答えがあるんだ。「何をして日本人というか?」じつはたったひとつだけ、「これをして日本人」と言えるものがある。なんだと思う?

石川 それは海外の人にも分かってもらえるものですか?

太田 もちろん。これがね、案外みんな答えられない。「あなたは日本人ですか?」と聞くと「日本人です」って即答する。「じゃあ、どういうことで日本人って言えるんですか?」って重ねて聞くと、かならずパスポートを出してくる奴が出てくる。

石川 ああ、そうでしょうね。

太田 でも、そういうことじゃないんだよ。もっと深い問いかけなんだから。

石川 それは目に見えるものですか? その日本人の証みたいなものは。

太田 目に見えるかどうかというと、見えないかもしれない。ただし、別の捉え方をすると、見えるんだけど、見えないとも言える。

石川 うーん…。人との関係であったりとか、それに類するものでしょうか?

太田 それも含まれてはいるけど、ど真ん中の回答ではないね。うちの連中なんかに聞いてみると「そんなの簡単だよ」って言うわけ。「国籍があれば日本人だ」って。これがおおよその若い人たちの回答。でもそれも違う。もちろん世界で生きる証としての国籍は重要なんだけど、この質問の答えとしては不完全なんだな。

石川 これは直接的な答えにはならないかもしれないですが…。昨年、あるプロジェクトに携わったんです。その企画展では「日本文化の継承」がテーマになっていて、子どもたちに日本の文化とはどういうものかを伝えていきましょう、という取り組みでした。そのときの裏テーマだったのが日本語なんです。日本語という言語、言葉の面白さ。そこに込められたものを子どもたちに感じてもらいたいと考えていて。感情のあらわし方だとか、日本独自の色の種類だとか。色の呼び方なんて、日本には500種類以上ありますよね。

太田 じつに豊富な呼称を持っているよね。

石川 そうなんです。そのあたりを紐解いていくと、日本人らしさみたいなものが浮かび上がってくるのではないか? と考えているところだったので。「日本人とは何か?」という問いに近いものがあるのかな…とふと思ったりしたんですが…。

太田 たしかに日本語が重要な要素なんだけど、それだけじゃない。

石川 日本語を話せたら日本人ってことにならないですか?

太田 そう? じゃあ日本語を勉強して、日本人以上に流暢に話せる外国人もたくさんいるけど、彼らは日本人かな?

石川 うーん、たしかにそう言われると違うような…。

太田 そうだろう? ちょっと脇道に逸れるけど、建築家っていうのはこの世になかったものを設計することはできない。既にあるものを洗練させることはできるけど、ほとんどが先人たちがやってきたことの、ある意味ではコピーだよな。でもコピーのやり方を間違えるとパクリだ。いかにも自分で思いついたように見せかけているだけ。

石川 なるほど。

太田 さすがにまるっとパクリはまずい。まずいっていうか、パクリだとまず自分が面白くないからね。くだんのエンブレム問題みたいになっちゃう…同じケンちゃんでもさ、俺は昔「洗濯屋ケンちゃん」ってのが好きだったんだけど。君らは知らないよな(笑)

石川 知らない(笑)

— ええと、あれですよね。80年代の…ちょっとした娯楽ですよね。

太田 君はその歳で知ってるの? うれしいなあ。ちょっと握手しよう。

— ありがとうございます(笑)

太田 渉もそこまで押さえてないと(笑)。…ええと、何の話をしてたんだっけ。ああそう、パクリの話ね。ここ数年、「新之介サロン」という集いがあって、若い建築家たちと話をする機会があるんだけど、先人の営みをコピーするとしても、どこを狙ってコピーするのかが大事だと言ってるわけ。素材でも工法でもデザインでも、いかにも自分で考え出したような顔をしてるけど、どこかにかならずお手本がある。ずっと源流を突き詰めていくと旧石器時代に行き当たったりするんだ。太陽、月、星、草花、動物、渦巻き。文様ひとつとっても、自然の風物現象をかたどるところから始まっている。そういった営みを何万年も営々と積み重ねてきて今日に至っているわけだよ。

石川 文化とは連綿と受け継がれてきたものなんですね。

太田 今はね、お祭りだろうが、まちづくりだろうが、すべて経済要件を満たしてから進めようとする。「売れますよ」という保証が無いと何も始められない。先に経済的な見通しが立たないと動けない時代になっちゃった。でもそれだとね、どうしても本質的なものがどこかに飛んじゃうから、たいていの催しは一過性で終わってしまう。見渡してみても、何十年も、何百年も続きそうな企画なんて皆無に等しい。違うかい?

石川 残念ながら、そういう側面はありますね。

太田 ここでね、ようやく話が元に戻るんだけど。

石川 はい。

太田 「日本人とは何か?」の答え。それは、ひとくちに言うと「日本語でものを考えている人」だ。つまり「日本語で思考している人」なんだよ。これが私の考える日本人の定義。

石川 日本語で考える…。

太田 そう。何カ国語を操ろうとどんなことをしようと、日本人とは「日本語でものを思考している人」を指す。これが私の回答。かつて「祖国とは国語である」と喝破したヨーロッパの思想家(エミール・ミシェル・シオラン : 1911〜1955)がいたけれど、日本でこのことに触れているのが司馬遼太郎だな。彼は「言語の基本(つまり文明と文化の基本。あるいは人間であることの基本)は、外国語ではない。母親によって最初に大脳に植えこまれたその国のすなわち国語なのである(「なによりもまず国語」)」と言っている。

石川 たしかに相通じるものがありますね。

太田 たんにその言語を知っているだけでなく、その言語で思考すること。人間の子どもは8歳くらいになれば母国語を扱えるようになる。その言葉でものを考えはじめる。すなわち、その人の考えを形づくる言語そのものが祖国である、ということなんだよ。

石川 ああ、すごく腑に落ちました。

太田 たとえば俳句なんかでも、たった五七五の短い文言なんだけど、そこに込められた意味を正確に翻訳しようとすると、英語でもフランス語でもとんでもなく長くなっちゃう。「古池や 蛙飛び込む 水の音」に含まれるニュアンスや世界観まで説明しないといけないから。日本語に限らず、言語には膨大な情報と文化的背景が託されているんだ。

石川 どうして日本には日本語という独自の言語が生まれたんでしょう?

太田 それはもう必然的なことだよ。日本語がなぜ生まれたのか? 日本の木造建築がどのようにして生まれたのか? そこには通底するものがある。

石川 そのあたりについてもくわしく伺いたいです。

太田 言語がなぜ生まれたのか。最近でもアマゾンで発見されたりしているけど、いまでも文字を持たない民族は存在しているよね。彼らは文字を必要としていない。それはつまり、コミュニケーションを成立させるために文字が必要か必要でないか、その分かれ道があることを指している。さて、なぜだと思う? どうして人間は文字を開発しなければならなかったのか? メソポタミアでシュメール人が発明した象形文字がもっとも古いと言われているけれど、なぜああいった粘土板に刻したような文字が必要だったのか。

石川 文字とはすなわち伝え方の発明ですよね。

太田 そう。

石川 オーラルなコミュニケーションだと、1対1だったり、伝えられる人数に限界があったりするから…。

太田 でも、文字にも限界があるよ。

石川 僕の理解では、文字はずっと残しておけるというメリットがあって。しゃべるのとはまた別の機能がある。時を超えてたくさんの人に伝えられるし…。

太田 かならずしもそうとは言えないんじゃないかな。なぜかというと、いまこうして撮っている写真一枚の方が、文字にすると何万字にも相当する情報量を持ってるよね。それが人間なのかライオンなのか、絵や写真だと一瞬で理解できる。逆に文字だけでライオンを説明するには大変な労力がいる。しかも文字は、書ける人と読める人がいてはじめて成立するわけだ。コミュニケーションの方法としては意外とハードルが高い。

石川 たしかに。文字を持つための前提条件か…。狼煙(のろし)みたいなものと関係があるんですかね?

太田 それも近いんだけど、もっと重要な、人間の生命だとか生活に近いところから言語は生まれたはずだと俺は思う。人間は生存と生殖をもった生命としてこの世に生まれてくる。生き残って子孫を増やすこと。つまり、人間が生まれてくる目的とは脳科学的に言うと生存と生殖である。そうなると、生命や生存に関わる差し迫った問題から必要性が生じてきて、それをきっかけに言語がつくられたはずなんだ。

石川 生存に関わる問題から言語が生じたということですか?

太田 そう。それを考えるためには、言語の機能を考えてみると分かりやすい。今も昔も言語を使って私たちがしていること。ようは「文字を使っておたがいを縛ること」なんだよ。売買や仕事なんかでも、契約は文字じゃなきゃできないだろ?

石川 たしかに約束事を取り交わすときに文字は必須ですね。

太田 そこなんだ。人口が多くなって、他民族との交流もあって、いろんな約束事を取り交わさなくちゃいけない。つまり、契約を結んでおたがいを制約するルールをつくらないとやっていけない人たち。そのために文字を発明しなければならなかった人たちが、最初に文字を持ったと俺は考えている。

石川 なるほど。

太田 その原点は何かというと、やはり「食べ物を得る」というところにあったと思うんだよね。古代の人たちは、生存するための食物を命がけで手に入れなければならなかった。動物でも魚でも木の実でも、自然の資源をめいめいが勝手に奪いあう。すなわち生存に関わる争いが生じる。そうすると「ここから先は俺の領域だぞ」とか「ここがおたがいの境界線だぞ」といった約束を、なんらかの形で交わす必要が出てくる。文字とは、そういった生存に関わるような約束事をせざるをえない人たちがつくりだしたと考えて、たぶん間違いない。

石川 そういう意味では、日本の文字のルーツと海外の文字のルーツはまったく別のところから、目的がかなり違うところから生まれたんですね。

太田 まったく違う。日本だと縄文時代の人骨で傷ついているものは見られない。弥生時代の後期になってきてから、頭に孔があいたり、骨が折られたりしたものが出てくる。そのあたりから争いが生じてきたんだろうと。そして争いがあれば文字が必要になってくる。日本の場合は外国から文字を輸入したわけだけど、それまでは生存に関わる約束事を交わす必要がなかった。きっと人口もそれほど多くなくて、食べ物が豊富にあったということなんだろうな。

石川 そんな成立の仕方をしていながら、日本語には漢字があって、ひらがながあって、カタカナがあって、かなりバラエティに富んでますよね。

太田 世界に類例がないよね。

石川 どうしてそんな言語として発達したんだと思いますか?

太田 そこにも日本人の原点を見出すことができると思うよ。たとえば、万葉仮名も大きな発明だよね。中国から輸入した漢字を使って日本語を表記する方法を編み出した。漢字の音だけを拝借して自分たちの歴史や和歌を書き記したわけです。さらにそこから平仮名や片仮名を生み出した。そのうえで驚くなかれ、それらを全部ごちゃまぜにした言語として定着させている。「ニューヨークタイムズ」には日本語が載っていないけど、日本の新聞には日本語に混ざって英語がそのまま記されている。しかも我々はそれを自然に受け入れている。
石川 考えてみると不思議ですよね。

太田 漢字、ひらがな、カタカナを組み合わせて使う。さらに英語もそっくりそのままミックスする。私たちはこうした多層構造の言語を古来から受け継いでいるんだよね。われわれの先人の、営々として培ってきた血のようなものが、言語にもあらわれていると言える。こうした日本語の特徴は、そのまま木造建築にも当てはまるんだよ。

石川 というのは?

太田 建築に用いられる材木の種類がもっとも多いのは日本なんだ。とくに本格的な木造建築では、ひとつの建物に対して驚くほど多くの種類の材木が使われている。たとえば、ケヤキは固い、ヒバは水に強い、ヒノキは香りを放つ、スギは腐りにくいなど、それぞれの木の特徴を活かしている。日本人は15~20種類の樹種を用途や必要に応じて使い分けているわけ。まさに「適材適所」だよね。

石川 そうか、建築から生まれたことわざなんですね。

太田 当初はスギやヒノキなどの自生している針葉樹が主流だったけれど、氷河期が終わってから日本には照葉樹林が生まれた。そうするとケヤキやナラ、カシといった樹木も使われるようになる。さらに近年では、カナダやアメリカ、スイスから輸入した木材も組み込まれている。どこの産地のどんな材料でも日本人は使いこなしちゃうんだよ。

石川 モノの力を引き出すのに優れている…。

太田 まさにそう。気候風土や樹木がもたらす多様性。この多様性こそが、日本列島に生きる人間の血肉になっているんだ。あらゆるものの原理原則と呼ばれる生活風習の根幹に多様性がある。

石川 なるほど。多様性も重要なキーワードですね。

太田 木造建築を日本語に置き換えてみると、漢字はスギやヒノキだよね。そこに自生している木々を巧みに組み合わせていく。日本人はその言語と同じように、建築においても多層構造で世界をとらえて独自に発展させてきた。だからこそ、日本の木造建築が持つノウハウは芸術的なんだ。精緻にして複雑。世界中のどの民族でも、ここまで木のことを知り尽くして使い分けた文明は無かったし、いまだにどの国も追いつけない。

石川 太田さんはよく日本には「木器文明」があったはずだ、というお話をしますよね。

太田 石器時代というのは世界共通の歴史分類だから、それはそれとしてね。でも、石は石を使ってしか割れないし、けっこう扱いにくいんだよ。だからおそらく日本人が最初にいじりだしたのは「木」だったはずなんだ。だって身の回りに自生しているもっとも加工しやすいマテリアルなんだから。我々の古い先祖たちは、生活のあらゆるものを当初は木や草や土でまかなっていたんじゃないかな。



(つづく)


[太田新之介さんプロフィール]

建築家

1945年 静岡県生まれ 三島市在住
号は樵隠庵・不説齋・珎玄齋
太田新之介建築事務所 主宰
樵隠会 代表
三島市文化財保護審議委員

WEBサイト「和の心にて候」
http://www.wanococoro.org

1974年 建築家として独立。 主として伝統に根ざした新時代の木の建築づくりに取り組む。

10年の歳月を要した岐阜瑞龍寺僧堂、天皇皇后両陛下がお立ちになった、全国植樹祭メインステージ「天城の森お野立ち所」、家元好みの茶室「白鶴亭」、「樵隠庵」、「MOA熱海保育園」、住宅等多岐にわたる。
独自の設計活動から、300年の歳月を生きる建築創りを目指す。
近年、7年の歳月を要した「水晶殿」平成の大改修を指揮し、『水晶殿―美しさとは何か その煌めく建築からの啓示―』を著す。
主な著書に『伊勢神宮』、『Sの計画―木の建築ルネッサンス』等がある。

照明デザイナーとして、国際照明デザイン賞を受賞した「禅のあかり」他、「茶事のあかり」などをデザインし、ヨーロッパでも評価を得ている。

また、演出家として、祭事「和の心にて候」を主宰しながら、次世代へ向け独自のメッセージを発信。木の建築みがき隊を組織し名建築の保存啓蒙活動をしている。
自ら茶室を造営し、二百余回の茶事・茶会を催す。
昨今は執筆、講演等の活動を通し「日本のすがた・かたち」を次代へ伝えるため、茶の湯のステージ「三島御寮」造営計画に取り組んでいる。

【著書】
『水晶殿』、『伊勢神宮』新之介文庫
『建築相聞歌』(草思社)
『東南アジアに渡った元・明のやきもの』、『Sの計画―木の建築ルネッサンス』、 絵本『ソーじいじのわっしょい』(里文出版)
『於八於五(おばおい)』(共著 里文出版)
『三百年生きる木造美術館づくり』(共著 静岡新聞社)
『瑞雲茶会録』、『九天飛翔』、(和の心にて候in熱海実行委員会)、『十方彩雲』(和の心にて候グループ)など

【主な作品展】
裂のデザイン展、茶道具展、書小品展、 手描き帯展、短冊展、篆刻展、相聞の書展(静岡伊勢丹)
浅尾伊賀と繕いの美展、清遊の書画展・小野田雪堂と太田新之介(ギャラリー珎玄斎)
「三遊展」小野田雪堂・太田新之介・眞鍋井蛙(銀座鳩居堂ギャラリー)・ チャリティー「この人と書」展 (銀座松屋)など

【祭事「和の心にて候」企画・構成・演出】
KNOB「祈りの音」(東京上野 奏楽堂)、 子どもたちの日・瑞雲茶会・能楽堂ライブ「九天飛翔」、能楽堂ライブ「十方彩雲」(熱海 MOA美術館)