2017年12月31日、函館から戻る飛行機の中にいる。
落部川で力尽きた鮭を狙うオジロワシを眺めていたときに、ふと小学5〜6年生の時に国語の授業で書いた詩を思い出した。
当時の担任だった伊藤先生(超こわかったけど尊敬している)にめずらしく褒められたのでよく覚えている。
少しあやふやな部分もあるけど、フライト中に書き起こすことにした。
ある日 ぼくは生まれた
一生けんめい生きたけど とつぜんおわった
ぼくはミジンコという生きものになった
ある日 泳いでいたら食べられて ミジンコはおわった
ぼくはタニシという生きものになった
ある日 眠っていたら食べられて タニシはおわった
ぼくはゲンゴロウという生きものになった
ある日 休んでいたら食べられて ゲンゴロウはおわった
ぼくはザリガニという生きものになった
ある日 遊んでいたら食べられて ザリガニはおわった
ぼくはコイという生きものになった
ある日 おいしそうなミミズを食べたと思ったら
気がついたら糸にぶらさがっていた コイも終わった
そしていま
ニンゲンというフシギな生きものに
ぼくはなった
人間として今ここに生きている、奇跡的、運命的な喜び。
その一方で、いろんな生きものの生命を旅する「何か」があるとしたら、当時の自分や周りにいる人間のあり方に違和感を感じるんじゃないか…。
そんな二面性を持たせたかった感覚は、わずかだけど覚えてる。
自分の存在がちょっと虚ろになっていたのか、何かしら思い悩んでいたんだろうけれど。
当時の石川少年の心持ちはどうしても思い出せない。
まあ、やることはひとつだ。
ニンゲンらしさを大切に、生命を弾ませながら、2018年もたのしんでいこう。